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死んだふり站椿

前に、ある老師に自然に立てと言われた。 
自然になるとはどういう事だろうか。 自然なんて言葉は人間のつくった造語にすぎないのだが、では不自然とはなにか。 知性があるものが作為的に何かを行う事ってかんじかなぁ。
ということは「私」が何もしないまま立ち続けないといけないと言うことか。
そうなるにはどうすれば良いのか考えて工夫していた。(工夫している時点で不自然なのだが・・・)
「私」を止めようとしても、この身体のどれが「私」なのか解らない。 自然に在って体にまかせろと言われたが、どこからが体なのか解らない。
いろいろ悩んでいると、あるHPに「死人禅」なるものが書いてあった。 そうだ死ねばいいんだと、単純な私は「死んだふり站椿」をやってみた。
夜中の11時頃、電灯のなるべくない真っ暗な公園で一時間くらい站椿してみた。 立ったまま限りなく死んでみる。 そんな馬鹿なことを半年間、雪か雨の日以外ほぼ毎日やっていた。
ずうっとやっていると変な感覚がでてきた。 「私」以外のものが動いているのだ。 いつもは「私」も一緒にこの世界と動いているので違和感はないが、あるとき「私」の存在に気づいた時、「私」が止まった時(気づいていなかっただけで最初から止まっていたのだが)、ものすごい違和感がでてきた。  「私」をつくりあげていた五感全てが「私」から離れ、そして「私」そのものだと思っていた記憶や思考さえも、客観的にみていた。 脳みそに「私」はいない。 私は、すごい発見をしたと思ったと同時に、その状態がなんか気持ち悪くて、それから「死んだふり站椿」をあまりしなくなった。
ある禅師に言わせれば、そんな状態は当たり前で、だからどうした、だからどうなる・・・ということらしい。 たしかにそう思う。

これを武術の強さに結びつけるのは、私には難しすぎる・・・。
ひょっとしたら、ちょっと違う方向だったかも(^^;)
 
興味のある方はどうぞ!!
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